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蘇州駅からタクシーで自宅に帰るとき、高架上を通る。
その脇に、大きな『JOMO』の看板が突っ立っている。
中国語名を《矯馬》【jiao ma】という。
「矯」には、〈矯める、矯正する〉という意味のほかに、
〈強い、勇ましい〉という意味もあるらしい。
音訳であるが、この〈強く勇ましい馬〉という字面が企業イメージと合っている。
にくいネーミングである。
このように、音訳として当てた漢字から意味されるものが、
同時に対象のイメージとも符合するということに成功している例が、稀にある。
よく例に挙げられるのが、コカ・コーラ《口可口楽》【kou ke kou le】。
カナを持つ日本語話者にとって、漢字しかない中国語は融通が利かないように思えるが、
逆手をとってこのようなある種詩的な訳語を生むことがこの言語にはできる。
ただ、企業名、人名などの多くの音訳語は、あまり漢字自体が強い意味を誘導しないような
無臭のものを使っていることが多い。
あらぬ方向に意味を誘導されては困るので、これは仕方がない。
しかし、どうもそれらの言葉は自分には不気味に映るものが多い。
《托爾斯泰》(トルストイ)、《莎士比亜》(シェークスピア)、《莫扎特》(モーツァルト)、
《達・芬奇》(ダ・ヴィンチ)・・・・
これらの言葉とも、慣れれば仲良くできるのだろうか。
漢字のくせに、自ら存在を消すように息を殺している。
形は奇妙だが空っぽの引き出しのよう。
でも、日本語のカタカナにしたって結局同じようなことか。
いずれにせよ、完璧な訳語などありえないんじゃないか。
そう一人合点すると、やはり《矯馬》という訳語は美しい、と思う。
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テーマ:中国語 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2008/03/26(水) 07:35:55|
- 生詞
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